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夏の終わりに思う事と、夏の終わりの出来事

こんにちは。
横浜青葉台の長~い坂の上にある理美容室
ヘアー&リラックス スウ
の鈴木です(^^)/

僕の事もお店の名前も一緒に
「スウさん」
と呼んでください♪
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人は生まれた時から既に、それぞれの宇宙を抱いている。その目で見たもの、感じたもの全て、自分の感性だけで捉える事が出来れば、無限の宇宙を自分の中に誰もが持っているのだ。
 
この世界はこうだと大人に教わっていき、常識というものを身につける。
それは自分以外の他の宇宙を抱いている、それぞれの世界を傷つけないために考えられた、ルールみたいなものだ。
 
自分の感じたままではなく、誰かのフィルターを通してだったり、こうしなさいああしなさいの制限の中で、自分の中にあった宇宙、自分にしか見えていなかったものは、失われていったり見えにくくなっていく。
 
大人が作った社会の常識やルールは、安心感や安全を生む。しかしその一方で時に孤独感を生む。自分にしかないもの、見えている物を主張したり口にすれば、社会になじめなかったり、変り者扱いされたりしてしまう。
 
しかし人は誰もが、その常識の中だけでは生きられないから、どこかで常にはけ口を探しているのだろう。
 
音楽を聴いたり芸術に触れたりして
感動したり興奮したり、心が癒されるのは、その人が表現した宇宙を体感して
自分の中に閉じ込めていた宇宙にも触れる事が出来るからなような気がする。
 
 
自分だけが特別なのではなく、人は本来、元々がそれぞれ特別なのだ。何十年、何百年に一人の天才も、孤高の芸術家もきっと皆同じ。
 
だから、自分は凡人だから・・・
とか言わないようにしよう笑

 
環境や性格によって閉じ込めてしまった
誰もが持っているはずの自分の宇宙は
自分の中にあるのだから、その気になればいつだって触れられるのだ。
 
この世界を生きる為に、人を幸せにする為に、身につけていった努力で培われたスキルは、全て自分を表現する為に必要だったことなのかもしれない。
 
そう考えればもっと頑張れるような気がする。
 
頑張る=ストイックでつらいもの
と考えると精神が疲弊していき、毎日が疲れてしまう。
 
誰にでも分け隔てなくある無限の可能性は
自分の中にあって自分でしか開けないのだ。
 
誰かに相談してみても、偉い人の言葉を聞いてみても、自分を開く鍵は自分しか持っていないのだから、答えは自分しか知れないのだ。
 
だからもっと全ての事に対して自分の感性で感じよう。気持ちをまっさらにして、自分の感じたままの気持ちを大事にしよう。
 
そんな事を意識しただけで、世界は楽しくて色々なヒントが転がっている事に気づく。

毎日色々なサインがある。

それは悲しみの中にもきっとある。

そんな事を夏の終わりに思いました。

 
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つい先日に僕の父のお兄さんが亡くなりました。享年83歳でした。

その伯父の髪はずっと父がカットしていたのですが、僕がお店を出してからはずっとスウに来てくれていて、僕がパーマとカットをしていました。

先月も伯父はスウに来てくれて、生きている伯父に会うのは結局それが最後になってしまいました。

床屋が嫌いだと言っていた伯父はいつも
原型がなくなる位に伸びてから来られて、周りをスッキリ刈り上げて上だけパンチパーマばりのパーマをかけていました。

ずっと元気だと思っていた伯父は、全身が癌に侵されていて余命が短いという事をつい最近になって知りました。

ご本人も周りの人たちも皆さんそうだったそうです。

元々言葉の少ない伯父でしたが、それでもスウに来た時には何気ないお話しをしてくれて、それを聞くのが好きでした。

耳が遠くなってしまわれてからは余計に言葉が少なくなり、最後はほとんど言葉を交わしていません。

またしばらく来られなくなるかもという事で、いつもより更に短くした髪は、
最後は少し伸びた髪になってお棺の中で安らかなキレイなお顔でおやすみになられていました。

あまり多くを語らない伯父でしたが、伯母に先立たれてからはやはりどこか寂しげでした。それでもいつもと変わらずに真面目に誠実に色々な事にお勤めされ、最後は静かに旅立たれました。

葬儀はとても温かく、伯父がお勤めされていたお寺のお坊さんも含め
見送る側の人たちの優しさは、そのまま生前の伯父のお人柄を現すようでした。

喪主であったお従兄さんのお見送りの言葉の飾らない物言いは、少ない言葉でしたが、伯父の人柄を全て表していました。

伯父とは一緒に過ごした時間も交わした言葉も少ないのですが
最後のお別れは自然と涙が溢れてきました。

それほど苦しむ事もなく最後あっという間に旅立たれた伯父は、ある意味幸せだったのかもしれません。

最後に見た、安らかな仏のような顔が全てを語っているようで
安心して天国にいかれる姿が想像出来ました。

伯父さん、最期までありがとうございました。

ご冥福をお祈りいたします。