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自分史その1。あなたがあなたらしく輝けるように。(美容師修行時代を振り返って)。

あなたがあなたらしく輝けるように。

ヘアスタイルを作るうえでの信念や
想いみたいな物はありますか?

そう問われた時に思いついた言葉。

そんなどこかで聞いたような言葉
何かの歌の歌詞のような言葉

なのですが、自分の内側から自然に出た言葉です。

偉そうなこと、きれいごとを
信念に掲げていると思われるかもしれませんし
歯の浮くような言葉かもしれません。

しかし、自分は偉ぶるでも謙遜するでもなく
この思いを本当に目の前の人に実現できた!
と本気で思えたことが一度もありません。

お客さんに満足してもらえる、
喜んでもらえる
そういう達成感とは別の所にある
達成しえない永遠のテーマなのかもしれません。

ハッキリ言ってしまうと
今の実力、単に技術的な意味ではなく
総合的に人間力なども含めて
今の僕では本当の意味では成し遂げられないような
レベルの話なのだと思います。

その自分が掲げた信念。
その意味を深く考える時間がまた最近あって
そして自分の昔を思い出す時間があって
そこにたどり着いた自分の心の内側を覗くという
作業をしていました。

ここではその思いが自分の内側にあるという理由と
そういう思いを形作った自分の物語を
過去を振り返って簡単な自分史みたいなのを
書いておこうと思いました。

これは外に発信するという事よりも
自分の心の整理と
これから新しい事に挑戦する前段階の通過点として
残しておこうと思いました。
脚色などせずにそのままの自分史ですので
多分退屈だと思います。

面白おかしく変換して
自虐的な笑いを誘うような書き方もしません。

なので、
読み手を想定してある程度文章を書きますが
おそらく、ダラダラとした部分が出てきてしまうと思います。

ハッキリ言って物語になるような
そんな激動の人生ではないので笑

なので、
ここから先の自分史は読みたい人だけ読んで下さい。

それでも、ここまでは読んでくれた人の為に
先に結論から言っちゃいます。

あなたがあなたらしく輝けるように

あなたはあなたのままでいい。

それはずっと否定され続けてきた
そのままの自分では
色々な所で負け続けてきた
そんな自分への自己肯定から
生まれた言葉だと分かりました。

なので、比較的暗い話です。
誰が読むか分からないけれど
書いてみます。

嫌になって途中で書くのやめるかもしれないです笑

書けるだけ書きます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
女性の髪も切れるようになりたい。

最初にお世話になった、
床屋さんでの仕事が
こなせるようになって
ある程度上達してくると、
成長の限界を感じてしまっていたからか、
いつからかそんな事を思うようになりました。

"ブロース"
という角刈りみたいな髪型の大会に出るために、
毎月大量の男性ウィッグを購入して
ただひたすら闇雲にカットの練習に励んでいた僕は、
その練習にも行き詰まりを感じはじめ、
それと同時進行で
いつからか、女性のウィッグも買い込み
女性のカットを独学で勉強し始めるようになりました。

しかし、
勤めていた所はバリバリの床屋さんで、
女性のお客さんなど一人も来ません。

なのに、新美容とかTOMOTOMOとか
美容師さんが読む雑誌を買い込み、
練習するのが、とても新鮮で楽しくなっていました。

当時お世話になった先生はとても優しく、
お店には直接役に立たないような、
そんな身勝手な僕の練習を
咎める事もなく、
自由にさせてくれていました。

自分のやる事を、いいよいいよと
いつも言ってくれる、本当に優しい先生でした。

そんな気持ちの状態のまま、
そのお店にいるのが申し訳なくなってきたのと、実際に女性の髪が切れるような現場で
働きたいという気持ちが強くなっていき、
その気持ちをそのまま正直に
先生に伝えました。

女性もくるようなユニセックスサロンで働くという手もあったのですが、
美容師になって美容室で働こうと
決めました。

そんな身勝手な僕の考えも、
受け入れてくれた先生には
本当に感謝しています。

しかし、床屋さんでしか働いた事がなく、
父親が理容師だった自分にとっては、
美容師の世界は全く未知の世界でした。
どうせやるなら、1からやってみたい。
シャンプーとかもやり方が違うし、
と思い、当時27歳の年齢でも、
アシスタントからやらせてくれる
というお店を探しました。

床屋でのキャリアもあったので
メンズならそこそこの腕は身につけていたつもりです。

でもそれはただ単に正確に切れる。
という事に終始していて、
デザインとしての自由さや、
よりスタイリッシュであるか?
などで勝負した時にどれ程の物なのかが
分からなかった。

なので思い切って、
今までのキャリアは一旦忘れて
1から自分を見直してみる。

最初は経験を積む為や、
興味本位と好奇心から始まった動機が
人生の転機になるのではと、
新たなチャレンジにドキドキし、
いきり立っていました。
初めての美容室として選んだのは
東京と埼玉でチェーン展開している
大きなお店でした。

そこは当時アシスタントの年齢制限が
丁度ギリギリの27歳までとなっていました。

そんな所にも何か運命めいた物を感じ
吸い込まれるように社長と面談させて頂いたのを覚えています。

とりあえずやる気があったのと、
勉強したいから給料はいくらでも構わない
と伝えた事もあってか、年齢とかは
特に気にされずに採用が決まりました。

しかも自分が希望していた
中野にあるお店でいいという事でした。

他にも沢山お店があるのですが、
そのお店には理容師出身の人達が
何人かいるから丁度いいのではと、
社長が思ってくれた
というのもあったようです。
 
今となっては理容師も美容師も
何も変わらない感覚ですが
当時の僕にとって、美容師の世界は、
全然違って見えました。

床屋さんの様に職人的な
ストイックな世界とは違って、
そこに集まるみんなは
どこかキラキラしていて、
夢を持った若者たちが多くいるように
見えました。

理容師さんより美容師さんの方が、
本当にこの仕事がやりたくて
それが夢で、この仕事が大好きなんです!

そんな人が多いような気がします。

床屋さんは大体が親が床屋で、
という人が多い。
なので、僕もそうだったように
ある種の覚悟を持って
なろうと思った人が多い気がします。

それに比べて美容師さんは
色々な職業の中から
それになりたいと思って
なる人がほとんど。

だから、憧れの世界に飛び込んでいく
という思いがあるからなのかも
しれないです。

だから何かキラキラして見えるのかも
しれないです。


とにかく色々な事が今まで働いていた
環境とは違い過ぎました。

当たり前ですが
まずお客さんが女性ばかりだし、
そして美容師さんも女性が多く
オシャレな人たちばかり。

バリバリの床屋さんで働いていた僕には
同じ髪を切る仕事なのに
全然違う業界に来たような感じでした。
スタイリストもアシスタントも沢山いて
朝から晩まで忙しい、
そんな活気のある美容室での仕事は、
色々初めての体験が多く刺激的で楽しかったです。

お店の始まる前に朝練して
夜も時間の許される限り練習。

僕だけでなく、
同じようにアシスタントをしていた
仲間でありライバルでもある人達との毎日は、
ただひたすら一人で練習していた床屋時代よりも、頑張れました。

先輩にも恵まれ、そのお店のスタイリストさんは皆さん素敵な人ばかりでした。

特にお世話になった理容師さんであった
先輩。

その先輩は入店当初から、
そのお店で売上も指名数も常にトップを張っていて、
明るく元気なキャラクターは皆に愛されて慕われていました。

ただ真面目なだけが取り柄のような自分に
目をかけてくれて、可愛いがってくれて、
常に僕をアシスタントとして使ってくれて
僕もその忙しい先輩に常に専属のようにくっついて、
勉強させてもらっていました。

そんな毎日が、とても充実していました。

自分も修行を積んで
早くそんな先輩の様になりたい。
と素直に思えました。
 
そんな先輩のおかげもあって、
アシスタントとしての試験も全てクリア出来て、1年目の途中から
スタイリストとしてデビューさせてもらえました。

スタイリストになっても、そんなに急に沢山お客さんを回してもらえる訳ではありません。

そのお店のシステムで、
ビラ配りをして、
その自分がまいたビラを持ってお客さんがお店に来てくれれば、
その人を担当させてもらえる。

それだけを頼りに、来る日も来る日も
ビラを配り続けました。

今までやっていたアシスタント業務
そんな事はほっぽり出して
お世話になったスタイリストさんが
本当に忙しくて、戻って来てくれと
電話が鳴るまで
外に出て配り続ける。

スタイリストデビューとなった途端に
そんな自分勝手な行動をし始めました。

自分のお客さんを増やさなければ。
そんな事だけが頭を先行していました。

当時お世話になっていたスタイリストの先輩には
恩知らずな行動だったと思います。


 
しかし、その時の僕の師匠は
そんな自分を咎める事もなく、
むしろ応援してくれていました。

それに甘えて僕はそのスタイルをやめませんでした。

ここだけの話、
当時ビラ配りの仕事を
本気で真面目にやっている人は
あまりいませんでした。

ビラ配り=外に出れる休憩時間
みたいな位置づけでした。

しかし僕はくそ真面目に配り続けました。

その甲斐もあってか
少しずつですが指名のお客さんが増えていき
このままもっともっと増やしていこう。

売上をもっと上げれるようになろう。

そんな事を思っていた矢先。
 
僕がお世話になっていた元理容師さんの師匠から
人事異動の話がありました。

その当時、僕の師匠はそのお店の店長になっていて
人事権を任されていました。

僕が勤めていた東中野店のスタッフの中から
誰か一人、人が足りない埼玉の志木店に異動させる。

その一人として師匠は僕を選んだようです。

 
最初は何で自分が?
と思いました。

今、少しずつだけどお客さんも増えてきたし
もっとここで頑張りたい。

それに、何より東中野の仲間たちや先輩たち
お店自体の雰囲気がとても好きで
離れたくありませんでした。

僕が師匠と思っていた人と同じ場所で働いて
自分が成長するのを見ていて欲しかった。

だけど、師匠と二人だけで
その話を持ちかけられた時に
ここに絶対残りたいです。
とは言えませんでした。

志木店異動の話が出た時に
僕の師匠も悩まれたようです。

師匠にとって一番弟子のような自分を選んだ。
それは今後の自分を思っての事だと
その時に言われました。

「すうさんにとって、その方がいいんじゃないかなと思って。。。」

「これはチャンスになるんじゃないかなと思ってね」

「ここで働いていていて欲しいという気持ちもある。
でも違う場所で頑張ってみるのもすうさんにとって
勉強になるんじゃないかな」

そんなような事を言われました。

当時の僕に対して、
色々何かを感じる事があったのだと思います。

その後分かった事ですが
その師匠は独立の準備をしていて
そのお店にはもう長くはいられない。

自分の事も面倒は見切れない。

そんな思いもあったのだと知りました。

当時、志木店というのは
そのチェーン店グループの中で一番売上を上げていました。

毎月張り出されるスタイリスト売上指名ランキングの
トップテンの人たちがゴロゴロ集まる
そのグループのスーパースター集団がいるお店でした。

お店自体の新規数も多く
入客を沢山したいスタイリストには
良いのではないか?
という判断もあったようです。

 
僕の東中野店の勤務が今日で終わりという日に
僕の師匠の独立前のお祝いという事も兼ねて
お酒や食べ物を買い込んでお店の中で
お別れ会みたいなものを開いてくれました。

そのお別れ会の前に
みんなの前でお別れの挨拶をする時に
自分でも予想できなかったくらいの
悲しさが一気に襲ってきました。

今まで必死に過ごした東中野での日々。
沢山の思い出。
散っていった仲間の思いや、
沢山の人たちに見守られて今ここに自分がいれる事。

何だか分からないけれど、
色々あったけれど、
そんな皆の優しさがクッキリと心に突き付けられたようで
それまで無我夢中で過ごしていた日々
ここで過ごしたみんなとの時間
それが今日で終わる事の悲しさなのか?

自分でも恥ずかしいくらいに
涙が溢れて止まらなくなりました。

涙の理由は分からないけれど
あまりにも人目をはばからず自分が泣いてしまったので
皆さんも、もらい泣きをしていました。

普段あまり感情を外に出さない自分が
あそこまで泣いてしまうとは
未だに自分でも信じられません。

思い募る事が沢山あり過ぎたのだと思います。
 
そんな温かい皆さんのエールを受けた、
その翌日から、
新しい職場の志木店に勤める生活が始まりました。

ここからが
美容師暗黒時代の始まりでした。

つづく。
一度ここで区切ります。

それではまた(^.^)/~~~