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「寛容さ」について

今まで誰も考えなかったかもしれないことを
考えついたかもしれない。
と真夜中に興奮している。


もうとっくに誰かがやっている事だったり、
考えついている事なのかも知れないのに、
自分の中での答えとしてキラキラ輝くものが
見つかった。


自分だけではなく、
誰かの役にも立つかもしれない。


だけどそれを人に話した時に、
いまいち分かってもらえなかったり、
良く聞く話と、一般論のように受け流されたり、刷り変わってしまう。



そんな事ってありますか?

 
自分の伝え方が良くなかったのかな?


じゃあこう伝えてみようとか
色々考えるんだけど。。。


それって思ったんだけど
そもそもが、
こんな事思いついたスゴいでしょ
って気持ちとか、

オリジナリティを認めて欲しい
とかっていう気持ちが
自分の中にあるって事なのかな?


違うのかな?


自分では自分の中に出てきた想いを綴ったり、伝えたいだけだったり
シェアしたいだけのつもりでも、
リアクションや反応が薄かったり
共感してくれる人があまりいないと、
寂しかったり、空しい気持ちになる。


それは当たり前の事なのかな?

 
自分は何を求めてるんだろう?


きっと分かって欲しいんだよね。


その時の自分の気持ちを
共有したいんだよね。

でも上手くいかない時がある。

でも想いは伝えたい。

 
愚痴の様な出だしになったけども笑


でも、伝わった時はとても嬉しい。


なので今日は
最近お客さんと話してて、
共感してもらえた事を少し書きます。

 
似た者夫婦。


って言葉あるけど、
全く同じ性格とか価値観とか
あんまりないよね。


僕は自分に無いもの、
もしくは潜在的にあるけどそれを出せないものを、
パートナーが出してくれてるって思う時がある。


自分一人では描けなかった欠けてる「円」を
きっとパートナーが埋めてくれてるのかもしれない。

 
人ってそれぞれが単体で
バランスをとって生きている。


でも誰かがいて、
自分が存在し得るのだとしたら、
その誰かとのバランスも結構大事だな
と思った。


それは自分に関わる相手を思いやる気持ち次第で、
良くも悪くもなる事だと思うな。


それを考えると
自分の中にない価値観を沢山持っている人は
とても貴重な存在かもしれない。


以前だったら遠ざけてしまう人も、
誰一人欠けてはいけないパズルのピースのように。


僕一人ではなし得なかった事、
見れなかった綺麗な景色や
新しい世界が見える。


皆が笑っている世界。


 
たとえば
誰かが気になる事をする。


自分ではしないような事とか、
不誠実さが見えるとイラッとする。


それは自分の中にある不誠実さを
許せないからだろう。


だからといって、
いい加減が良いとは全然思わないけど、
誰だって完璧ではない。


間違いだっておかすし、
そんなつもりなくても、
相手や周りへの配慮が足らなかったりしてしまう事があるのだ。


それを自分の中の「火」で
相手を責めてしまう。


実際表に出さなくても、
嫌悪感やイライラで
心の中で相手を責める。


そのイライラはブーメランの様に
自分に突き刺さり
自分自身を傷つける。


自分では気付かないうちに、
心も体も傷つけている。

 
だから寛容さが大事だ。


それは自分に対して寛容であるって事と同じだ。


そんなんじゃ駄目だとストイックに生きる人には、
生ぬるい考えに思えるかもしれない。


でも自分は「苛立ち」を
なるべくなくして、穏やかでいたい。


上手く言えないけど、
色々な事に寛容でありたい。


他人に対しての寛容さが足りないのは
自分自身の中の許せない自分が
まだまだいるのだ。

 
人に寛容な世界
分かりあえて笑いあえる世界が
色々な所であればいいな。


自分の周りだけではなく、
町に出たらそんな人に溢れている。


だとしたら世界はもっと
素晴らしいだろう。


そんな事を感じるのは、
段々そんな風にしか見えなくなってきているだけなのかもしれない。


良くわからない。



取りあえず
思いついた事を書いてみました。


 
今日は以上です!


それでは今日も良い1日を(^o^)/✨
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