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心の中の仏様

気持ち良く起きれた早朝に
外の澄みきった空気を感じて
小鳥のさえずりを聞いている。


朝日を受けて動き出した生き物たちが
全ては自分と同じだと言っている。


いや、言っているのではなく
自分がそう感じているのだ。



自分の心の中の宇宙と、
あらゆる森羅万象は全て同じだと言う。


自我を捨てた時に、
自分の中に広がる無限の宇宙に気づき、
そして、僕もあなたも一緒だった
という事に気づいていくのだという。


それは心穏やかな、
永遠の安らぎのような境地なのだろうか?



45年生きて来て、
初めて奈良の大仏様をみた。

 
おそらくアホみたいな顔で大仏様を見上げていた僕は、
神様はここにずっといたんだな
とその時に思った。
(実際は神ではなく仏様だけど。)

 
心の中にいた仏様は、
想像以上の大きさで
穏やかなスンとした表情で鎮座されていた。


良く見たらパンチパーマの様な髪型をしているのに、全然怖くない大仏様。


怖い顔をした仁王像に守られるように
奥に鎮座されている。


何にもぶれる事のない大きな神聖な存在。


それは自分の中にあったものを
見せられたような、安心感というか、
心の安らぎがあった。


自然と誰もが礼拝するのは、
それが決められた事だからではなく、
自分の中にいる仏を、無意識のうちに
尊び敬う気持ちがあるからかもしれない。

 
人智を越えたもの。


それがあるかないかは、
自分の心が決める。


あると思った者には存在するし、
ないと思ったらない。


スピリチュアルなものも
きっとそうだろう。


それを信じれるかどうかは
自分の中にある神や仏の様な
神聖なものに気づけるかどうかに似ている。


自分の中にいる神様に気づければ
自分以外の人も神様だということに気づける。


そして、一旦その世界を尊重すると、
奇跡のような出来事があったり、
全てが必然であったかのような出会いがある。

 
僕はやっとその入り口に立てた気がする。


今までの体験。

悲しい事も楽しい事も
全てこの入り口に立つための必然で、
矢印はずっとここを指し続けていたんだな。


今まで出会った人たちが
ここに導いてくれたんだろう。


きっとそういう事なのだ。

 
そんな事を思いながら
スマホの待ち受け画面を
霊峰富士山から、奈良の大仏様に変えようか迷っている自分(笑)
 
全然自我を捨てきれない
(≧▽≦)
 
今日は以上です!


それでは今日も良い1日を(^_^)/~~


 
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