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忘れられない「優しい人 」3.11
9年前の3月11日金曜日
その日が休みだった僕は
家族で都内の水道橋にいた。
当時もうすぐ3歳になる長女と奥さんとで、
僕らとしては珍しく、電車に乗って外出していた。
あまり普段休みの日に電車を使って出かける事はほとんどなかったのだけれど、
その時働いていた美容室のお客さんから頂いた東京ドームホテルのランチの無料券があったから、
それを使おうとしていたのだ。
都内のホテルでランチなんて、
当時の僕らとしたら一大イベントだった。
そんな特別な楽しいランチを終えて、
少し遊んで帰ろうと
後楽園ホールの近くに、
子供が遊べそうなゲームがある古いビルを見つけて寄り道していた。
そのビル自体がすごく古い作りで
狭いエレベーターで上がっている時も
何か揺れている様な感覚があった。
気のせいかな?
と思っていたけど、
ビルの上の方の階(確か五階位)に降りたってからも
しばらく揺れている様な気がしていた。
バッティングセンターみたいな機械や
人が動いてするゲームがあるし、
古いビルだから揺れているのかな?
と、思ったのも束の間、
激しい揺れが来て
地震がきたのだと理解した。
古いビルだったからか、今まで体感した事のない位に身の危険を感じる揺れだった。
その階にいた皆が慌てる中、
従業員の人も焦りながら
非常階段から逃げる様に皆を先導してくれた。
とても狭い非常階段を、
皆の流れの中、子供を抱っこしながらかけ降りた。
地上について少し落ち着いて
今いたビルを見上げると
僕らがいたであろう上の階が
大きく揺れていた。
まだ揺れは続いている。
しばらくして揺れがおさまってきたが
外に出てきている人たちは、
立ち止まって様子をみていた。
当時自分のガラケーでは上手く情報が取れなかったけれど、電車が全線ストップしたという事、
震源はここではなく、東北の方だという事が、人が話してる噂の中から分かってきた。
どこかに行って避難しようと、
僕らはお昼に行ってた東京ドームホテルのロビーに向かった。
そこにはもう既に沢山の人が集まっていて、
ホテルの人が用意してくれたであろう椅子に皆座っていたり、そのまま床に座っていたり、
そして僕らの後からも続々と人が集まってきていた。
ホテルにあるテレビで初めて今回の
震源地の東北の情報を見た。
大変な事になっている。。。
仙台のおばあちゃんや親戚は大丈夫だろうか?
携帯電話が使えなくなっていて、
メールを送っても届いたのかは分からない状態。
いつの間にかホテル内の公衆電話に行列が出来ていた。
皆の不安感がおさまらぬまま、
結局その日に電車が動き出す事はないと知った。
そこにいた人たちと一緒に、
そのホテルのロビーで一夜を過ごす事にした。
運良くホテルの売店でカップ麺やお湯などが調達出来て、子供に食べさせたりしながら過ごしていた。
子供は興奮しているのか、中々寝なくて、
ちょこちょこロビーの中を歩きたがっていた気がする。
ロビーにいた他の人たちも、
ほとんどの人が起きていた。
日付けが変わるか変わらないか位の時間に
動き回ろうとする子供をあやしていた僕らに、
一人の紳士が話かけてきた。
「良かったら上の客室で休みませんか?」
「?」
「僕は上のホテルを予約してて、
もうその部屋を使わなくなるので、
もし良かったらお譲りしますよ」
身なりのいいスーツを着た、
凄く礼節正しいおじさまだった。
そう言われたものの、
ちょっと躊躇して返答に困っていた僕らに、
「いや、あなたに声をかけたのは、この中で一番小さいお子さんがいらっしゃるからなんです。良かったら是非どうぞ」
僕らの思ってる「なぜ僕ら?」
の疑問を汲み取って説明してくれていた。
確かにそのロビーには小さい子供を連れている人がたまたま少なく、
その当時二歳だった晴香が恐らく一番小さい子供のようだった。
「お子さんもロビーでは寝られないでしょうから上で休んで下さい」
「あ、ありがとうございます。。。」
子供が小さいからといって特別扱いされていいのだろうか?
まだ迷っていたけれど、
お言葉に甘えて、その紳士の案内に従った。
その案内してくれる間の紳士とのお話でわかった事。
その日が休みだった僕は
家族で都内の水道橋にいた。
当時もうすぐ3歳になる長女と奥さんとで、
僕らとしては珍しく、電車に乗って外出していた。
あまり普段休みの日に電車を使って出かける事はほとんどなかったのだけれど、
その時働いていた美容室のお客さんから頂いた東京ドームホテルのランチの無料券があったから、
それを使おうとしていたのだ。
都内のホテルでランチなんて、
当時の僕らとしたら一大イベントだった。
そんな特別な楽しいランチを終えて、
少し遊んで帰ろうと
後楽園ホールの近くに、
子供が遊べそうなゲームがある古いビルを見つけて寄り道していた。
そのビル自体がすごく古い作りで
狭いエレベーターで上がっている時も
何か揺れている様な感覚があった。
気のせいかな?
と思っていたけど、
ビルの上の方の階(確か五階位)に降りたってからも
しばらく揺れている様な気がしていた。
バッティングセンターみたいな機械や
人が動いてするゲームがあるし、
古いビルだから揺れているのかな?
と、思ったのも束の間、
激しい揺れが来て
地震がきたのだと理解した。
古いビルだったからか、今まで体感した事のない位に身の危険を感じる揺れだった。
その階にいた皆が慌てる中、
従業員の人も焦りながら
非常階段から逃げる様に皆を先導してくれた。
とても狭い非常階段を、
皆の流れの中、子供を抱っこしながらかけ降りた。
地上について少し落ち着いて
今いたビルを見上げると
僕らがいたであろう上の階が
大きく揺れていた。
まだ揺れは続いている。
しばらくして揺れがおさまってきたが
外に出てきている人たちは、
立ち止まって様子をみていた。
当時自分のガラケーでは上手く情報が取れなかったけれど、電車が全線ストップしたという事、
震源はここではなく、東北の方だという事が、人が話してる噂の中から分かってきた。
どこかに行って避難しようと、
僕らはお昼に行ってた東京ドームホテルのロビーに向かった。
そこにはもう既に沢山の人が集まっていて、
ホテルの人が用意してくれたであろう椅子に皆座っていたり、そのまま床に座っていたり、
そして僕らの後からも続々と人が集まってきていた。
ホテルにあるテレビで初めて今回の
震源地の東北の情報を見た。
大変な事になっている。。。
仙台のおばあちゃんや親戚は大丈夫だろうか?
携帯電話が使えなくなっていて、
メールを送っても届いたのかは分からない状態。
いつの間にかホテル内の公衆電話に行列が出来ていた。
皆の不安感がおさまらぬまま、
結局その日に電車が動き出す事はないと知った。
そこにいた人たちと一緒に、
そのホテルのロビーで一夜を過ごす事にした。
運良くホテルの売店でカップ麺やお湯などが調達出来て、子供に食べさせたりしながら過ごしていた。
子供は興奮しているのか、中々寝なくて、
ちょこちょこロビーの中を歩きたがっていた気がする。
ロビーにいた他の人たちも、
ほとんどの人が起きていた。
日付けが変わるか変わらないか位の時間に
動き回ろうとする子供をあやしていた僕らに、
一人の紳士が話かけてきた。
「良かったら上の客室で休みませんか?」
「?」
「僕は上のホテルを予約してて、
もうその部屋を使わなくなるので、
もし良かったらお譲りしますよ」
身なりのいいスーツを着た、
凄く礼節正しいおじさまだった。
そう言われたものの、
ちょっと躊躇して返答に困っていた僕らに、
「いや、あなたに声をかけたのは、この中で一番小さいお子さんがいらっしゃるからなんです。良かったら是非どうぞ」
僕らの思ってる「なぜ僕ら?」
の疑問を汲み取って説明してくれていた。
確かにそのロビーには小さい子供を連れている人がたまたま少なく、
その当時二歳だった晴香が恐らく一番小さい子供のようだった。
「お子さんもロビーでは寝られないでしょうから上で休んで下さい」
「あ、ありがとうございます。。。」
子供が小さいからといって特別扱いされていいのだろうか?
まだ迷っていたけれど、
お言葉に甘えて、その紳士の案内に従った。
その案内してくれる間の紳士とのお話でわかった事。
その人はどうやら何処かの社長さんなのか
社員の人たちを一時避難させる為に
地震直後にここのホテルを手配したらしい。
そしてその社員の人たち
(確か5,6人って言われてた様な気がする)
を皆自宅に車で送り届けて、
後は自分が帰るだけになったから
部屋が必要なくなったんですと話されていた。
しかし、外は車が渋滞しているという情報が入っていたので、大丈夫なんですか?
泊まれていかれた方がいいのでは?
と聞いたのだけれど、明日の事などで家に帰らなければならないし、
家は近くなので大丈夫なんです
と話されていた。
昼間から社員を一人一人送り届けて、
今の時間の深夜になったのだなと想像した。
地震直後に万が一の為に、
すぐホテルを手配したのもそうだけど
社員の人たちを送り届けるって
凄い人だなと思った。
外は大渋滞なのに
どうやって社員の人を送り届けたのだろう?
たまたま近くに住んでいる人たちばかりだったのだろうか?
色々聞きたい事があった。
案内された部屋に着いてから、
その紳士はフロントに電話をして、
僕らに部屋を譲るという話をしてくれていた。
しかしどうやら話が上手くいかず、
チェックインとチェックアウトは同じ人でなければならないとか
そんな話でゴタゴタしてしまっていたようだ。
その紳士は僕らにここで待っているようにと言って、フロントに直接話をつけに行ってしまった。
何から何まで、色々と動き回ってくれる。
ややこしい話になっても
見ず知らずの僕らのために
冷静に対処してくれていた。
しばらくして、どう話をつけたのか
後は朝お好きな時間にここを出るだけで、
手続きなどしなくて大丈夫な様にしておきましたので
ごゆっくりして下さい。
と言って「それでは」と立ち去る感じだった。
僕はお礼をしたいと思い、
お名前を聞いたのだけれども
教えては頂けなかった。
お礼をさせて下さいって伝えたら
「こういう時はお互い様ですから。」
とだけ最後に言われて、
本当に名前も伺えずに紳士は去ってしまった。
社員の人たちを一時避難させる為に
地震直後にここのホテルを手配したらしい。
そしてその社員の人たち
(確か5,6人って言われてた様な気がする)
を皆自宅に車で送り届けて、
後は自分が帰るだけになったから
部屋が必要なくなったんですと話されていた。
しかし、外は車が渋滞しているという情報が入っていたので、大丈夫なんですか?
泊まれていかれた方がいいのでは?
と聞いたのだけれど、明日の事などで家に帰らなければならないし、
家は近くなので大丈夫なんです
と話されていた。
昼間から社員を一人一人送り届けて、
今の時間の深夜になったのだなと想像した。
地震直後に万が一の為に、
すぐホテルを手配したのもそうだけど
社員の人たちを送り届けるって
凄い人だなと思った。
外は大渋滞なのに
どうやって社員の人を送り届けたのだろう?
たまたま近くに住んでいる人たちばかりだったのだろうか?
色々聞きたい事があった。
案内された部屋に着いてから、
その紳士はフロントに電話をして、
僕らに部屋を譲るという話をしてくれていた。
しかしどうやら話が上手くいかず、
チェックインとチェックアウトは同じ人でなければならないとか
そんな話でゴタゴタしてしまっていたようだ。
その紳士は僕らにここで待っているようにと言って、フロントに直接話をつけに行ってしまった。
何から何まで、色々と動き回ってくれる。
ややこしい話になっても
見ず知らずの僕らのために
冷静に対処してくれていた。
しばらくして、どう話をつけたのか
後は朝お好きな時間にここを出るだけで、
手続きなどしなくて大丈夫な様にしておきましたので
ごゆっくりして下さい。
と言って「それでは」と立ち去る感じだった。
僕はお礼をしたいと思い、
お名前を聞いたのだけれども
教えては頂けなかった。
お礼をさせて下さいって伝えたら
「こういう時はお互い様ですから。」
とだけ最後に言われて、
本当に名前も伺えずに紳士は去ってしまった。
僕と奥さんは、その人が去った後も
世の中には親切で優しい人がいるんもんだねと
しみじみと感心して感動していた。
お陰様で娘はゆっくり寝る事が出来た。
余震で揺れるからか、色々考え事をして
僕は何故かあまり寝付けなかったけれど
ベッドで過ごす事が出来たので良かった。
次の日は朝からお店の予約が入っていて、
当時家から一時間以上かけて横浜の自宅から都内の職場に通っていたので、
ホテルから直接職場に向かうという手もあった。
だけれども気持ち的に一度家に帰りたかったし、
いち早く子供や奥さんを家に送り届けたかったので、
早朝動き出した電車で一度自宅に帰り、
そのまま職場に向かうという形をとった。
何事もなかったかの様に、
次の日からお客さんはいらしていたが、
職場には石巻が地元のスタッフがいて、
ずっと家族の安否が分からず
心配が続く毎日だった。
僕のおばあちゃんや親戚は、
ライフラインが滞ってはいるが
取りあえず全員無事なのは分かった。
しかし、石巻が地元のスタッフの家族は
ずっと安否確認も取れずにいた。
皆そのスタッフにかける言葉もないくらいの不安な状態がずっと続く日々だった。
だいぶ経ってから、安否確認が出来たらしいという事で、久し振りに少し安堵したスタッフの顔がみれた。
世の中には親切で優しい人がいるんもんだねと
しみじみと感心して感動していた。
お陰様で娘はゆっくり寝る事が出来た。
余震で揺れるからか、色々考え事をして
僕は何故かあまり寝付けなかったけれど
ベッドで過ごす事が出来たので良かった。
次の日は朝からお店の予約が入っていて、
当時家から一時間以上かけて横浜の自宅から都内の職場に通っていたので、
ホテルから直接職場に向かうという手もあった。
だけれども気持ち的に一度家に帰りたかったし、
いち早く子供や奥さんを家に送り届けたかったので、
早朝動き出した電車で一度自宅に帰り、
そのまま職場に向かうという形をとった。
何事もなかったかの様に、
次の日からお客さんはいらしていたが、
職場には石巻が地元のスタッフがいて、
ずっと家族の安否が分からず
心配が続く毎日だった。
僕のおばあちゃんや親戚は、
ライフラインが滞ってはいるが
取りあえず全員無事なのは分かった。
しかし、石巻が地元のスタッフの家族は
ずっと安否確認も取れずにいた。
皆そのスタッフにかける言葉もないくらいの不安な状態がずっと続く日々だった。
だいぶ経ってから、安否確認が出来たらしいという事で、久し振りに少し安堵したスタッフの顔がみれた。
自分の身の回りは大丈夫だったという現実。
そして悲劇が待っているかもしれないという不安を抱える人。
安否確認の為に逐一お店で流れる
被災地の現状。
そして優しいおじさんと出会った震災の当日。
3.11の記憶は
それがセットになって思い起こされる。
ホテルで出会った紳士のような行動
「こういう時はお互い様」
という言葉の意味も、
紳士のカッコのいい言葉くらいにしか認識していなかった昔の自分。
自分の回りでの3.11を振り返ってみる度に、
その紳士の「優しさ」に触れた自分は
いつかのお互い様の時の為の「学び」だったのだと、後になって思う様になった。
大人として、一人の人間としてのあり方を
その紳士が行動で示してくれて、
そんな事が大事だと、
忘れられない日に教えてくれた。
そこで触れた当たり前の様にする
人への「優しさ」は本当は誰にでもあるのだと思う。
それを行動に移すか移さないか
言葉にするかしないかの違いだけなのかもしれない。
でも誰にでも本当はあるからこそ、
忘れてしまいがちな
一番忘れてはならない
大切なメッセージだと僕は思う。
そして具体的な行動でお互い様を
していくんだよ、という事なのかもしれない。
こんな時だからではなく、
こんな時でもお互い様
そう思えるような
温かい「優しさ」をくれた
おじさん。
僕の中にはそれをずっと忘れないようにと
刻まれた日でもあり、
とてもとても大切なメッセージです。
長々としたブログになってしまい
分かりづらいかもしれないですね。。。
そして悲劇が待っているかもしれないという不安を抱える人。
安否確認の為に逐一お店で流れる
被災地の現状。
そして優しいおじさんと出会った震災の当日。
3.11の記憶は
それがセットになって思い起こされる。
ホテルで出会った紳士のような行動
「こういう時はお互い様」
という言葉の意味も、
紳士のカッコのいい言葉くらいにしか認識していなかった昔の自分。
自分の回りでの3.11を振り返ってみる度に、
その紳士の「優しさ」に触れた自分は
いつかのお互い様の時の為の「学び」だったのだと、後になって思う様になった。
大人として、一人の人間としてのあり方を
その紳士が行動で示してくれて、
そんな事が大事だと、
忘れられない日に教えてくれた。
そこで触れた当たり前の様にする
人への「優しさ」は本当は誰にでもあるのだと思う。
それを行動に移すか移さないか
言葉にするかしないかの違いだけなのかもしれない。
でも誰にでも本当はあるからこそ、
忘れてしまいがちな
一番忘れてはならない
大切なメッセージだと僕は思う。
そして具体的な行動でお互い様を
していくんだよ、という事なのかもしれない。
こんな時だからではなく、
こんな時でもお互い様
そう思えるような
温かい「優しさ」をくれた
おじさん。
僕の中にはそれをずっと忘れないようにと
刻まれた日でもあり、
とてもとても大切なメッセージです。
長々としたブログになってしまい
分かりづらいかもしれないですね。。。
昨日3月11日の午後2時46分
その時間に入っていた僕のお客さんがキャンセルになったので、外に出て黙祷をしてきました。
その時間に入っていた僕のお客さんがキャンセルになったので、外に出て黙祷をしてきました。
凄く暑い日で、日差しが強く
晴れわたった空。
晴れわたった空。
黙祷を終えて
大切なメッセージが届くかもしれないと
空に祈りました。
大切なメッセージが届くかもしれないと
空に祈りました。
長々としたブログ最後まで読んで頂き
ありがとうございました!
今日は以上です!
それではまた✨
ありがとうございました!
今日は以上です!
それではまた✨
祐実ちゃんブログも是非どうぞ(^^)
↓
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