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言葉のこだわり

こんにちは!

横浜青葉台の理美容室スウの鈴木です(^^)
最近色々なものを手放していって
軽くなりたいと思ってます

軽くてしなやかでいたい

それは今の時代の空気からなのか?

それとも自分の本来の望んでいた事なのか?


自然に色々な事を感じて考えて

自分のやりたいこと
大切にしたい人

それを想ったら
そうなるしかないみたいな


何言ってるかわからないかもしれないけど
続けます(笑)

先に書いておくと
このブログの着地点は
「言葉のこだわりを捨てる」
です

オパに出会った事もキッカケになって
手放しても大丈夫なのか?
それをする必要があるのか?
の判断がスッキリと出来るようになった


しなやかな自分でいられた方が
色々味わい深くて楽しい

以前は逆の事を考えていた


僕の中で以前と変わらないものもあるし
定義自体が変わっていくものもあって


その中の一つが「言葉」


人に何かを伝える時
そのこだわりが大事だと握りしめた瞬間に
その思いも感じる心も濁るような気がした
 

実際に発する言葉も鈍るような気がする
 
 
握ろうとした瞬間から純度がさがる
 
 
というより、自分がこだわって選ぶ言葉が
相手にとってしっくりくる言葉とは限らないのだ
 
そんな時は自分のこだわりは邪魔になってしまう
 
 
そして相手のありのままの真意も
 
拙い言葉の裏側にある真意さえも見逃してしまう
 
だから僕は言葉のこだわりを捨てたかった


読む言葉と実際話す言葉は違う

読む文字としての言葉は
その文に乗ってくる熱量みたいなものを想像する力や読解力が必要になる

話す言葉はその人が心から思っている事なら
どんな言葉でも伝わると思う
 
 
僕がこだわりを持っている事で
統合してつながる事が出来ないっていう事に気づいた

統合とかいうとまた訳わからないってなるかもだけど
 
エネルギーとか
そういう見えないものの話
 
不確かなものをはっきり認識する力と
 
感じた事を言葉にする力
 
 
それは感じたままを受け取る力と同じ
 
だから言葉のこだわりはいらない
 
 
 
例えば
歌の歌詞だけ見ても
想いが伝わらないのは
 
その歌詞が稚拙だからではなく
歌詞は音と共に伝えるから
形になっている
 
 
もっとこう表現すればいいのに
とか
そんな言い回しをしなくてもいいのに
とか
 
それは言葉のこだわりが
自分の感情や感覚を研ぎ澄ます方向でなはく
遮断する方向に向かわせているからだ
 
それは人に対する
言葉に対するジャッジが入ってくるからだと思う
 
そのジャッジを消すと
心が解放され
スッと入ってくる温かい気持ち
 
 
そこに含まれた愛や
人の機微をそのまま感じれる心
 
思わず笑みがこぼれる様な
油断すると泣いてしまうような
 
そんな感覚
 
 
洋楽を聞いて英語の意味が分からなくても
そのあるがままのものを
感じれるのは
 
その感じた心全てが正解で
 
それが答え合わせのように歌詞を見たとして
その感じた心とのズレを感じたとしても
 
その感覚が間違っていた事にはならない
 
 
しかし歌詞を見てより深い意味を知ったり
奥にある真意が見えたりする
 
しかしそれは一度それを素晴らしいものと感じて、またそれを掴みとろうとすると
全てにそんなものがあるという執着になるのかな
 
それはその時だけの感動に留めておいた方がいいんだろう
 
 
それが僕の言葉のこだわりや
表現のこだわりをなくす
 
という事です
 
 
それをなくしたからって
心を震わせるものはあるし
そうじゃないものもある
 
それはそこにあるエネルギーの違い
 
だけなのかもしれない

エネルギーの違いというのは
人によって大きいとか小さいとかではなく

ステージが上とか下とかでもなく

本来の形で
良く回っているか、いないか
って事です!

後はこうやって書く言葉と
話す言葉は違う

詞と歌詞の違いのように


話す言葉には温度が乗るから

 

言っている意味がわからなかったら
 
それは僕の言葉が拙いせいかもしれません(≧▽≦)
 
 
今日は以上です!

それでは今日も素敵な1日を(^_^)/~~
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