例えば人生が冒険だとしたなら
 
 
大した傷も負わずに
冒険の書を読みながら
自分が見たい所だけが見れたと
満足して終わる冒険と
 
 
色々な所を怪我してでも
見たこともない景色に感動したり
思ってもみない自分を揺さぶるような出来事に出会える冒険があったとしたら
 
どちらが楽しいだろう
 
あなたが大切にしていた
もしくは捨てようとしても捨てられない
何度も確かめるようにして触る古い傷
 
 
誰もが忘れていき
捨てていき
 
なかったかの様に生きる事がいいと言う
 
 
そうやって出来るし
 
 
そんなやり方がいいよねと言う


そうだと思う


しかしそれは冒険の証しで
 
 
時がたっても変わらない事実であって
 
 
僕が流した涙もあなたが流した涙も
 
 
同じだったと思える日の為に
とっておいた
 
 
胸の奥の奥にしまった悲しみなのかもしれない
 
 
僕があなたを理解出来て
愛おしいと思うのは
 
 
その悲しみを実は忘れてなくて
覚えているからに他ならないと思う


それは一人の人として生きていたら
誰もが経験する悲しみで
 
 
そこにフォーカスする必要はないが
 
 
どこかに預けていて
捨てる事なくとっておいたものなんだろう


その生々しさは消えて
リアルに感じる事はもうないのだけれど


傷も癒えてすっかりなくて
スッキリと晴れ晴れとしていても


その感覚は忘れてない
 
 
色々な事を捨てる
ってのが流行ってるし
 
軽くなるってのが
時代の流れだという自覚があるけど
 
 
僕はあなたの気持ちが分かる世界にいたい
 
 
だから捨てるんじゃなくて
預けておいて
 
 
一緒だったんだよね
 
っていつでも引き出す事が出来るのだ
 
 
 
あなたが知れて嬉しい
 
 
というのが僕の冒険には必要だから
 
 
それで泣く事になったって
それでいいのだ
 
 
今日も温かい気持ちで
爽やかな風が吹いていて
 
 
あなたを感じれる自分がいるのが
嬉しい
 
 
それが僕の「毎日が冒険」
という感覚なのです
 
 
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