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のび太最強説

これからは「のび太」みたいに生きるのがいいのかもしれない

のび太は優しい


人と比べて自分のダメな所といつも向き合わされて、色々な事に翻弄される日々なんだけど


色々な感情をそのままに
泣いたり笑ったり

しかし何か一つ大事なものをしっかり持っていなければ、あーは生きられない


それはやっぱりしっかり親に愛されて
おばあちゃんにも沢山愛されて

その愛というのがのび太の中で
しっかり根を張って芽生える事が出来てるからなんだろうなぁ


その根底の部分だけはぶれない


のび太っていうのは
「人間の業の肯定」
っていうのを体現してるんじゃないかな


小学生っていう設定の話だけど、藤子不二雄先生が言いたかった事はそんな気がしてきた


昨今言われる「自己肯定感」っていうものよりももっと深い

人間全体の業の肯定で
彼がドラえもんはじめ皆の愛の中で生かされてるって事で、それをずーっと体現してて


人間が「生きる」って事の本当のありのままの姿を教えてくれている


だって良く良く考えてみたら
ジャイアンの暴力に泣かされ
スネ夫に意地悪されバカにされたりしながら


スネ夫のお金持ちを羨ましがったり僻んだり
出来杉君としずかちゃんが仲良くしていれば嫉妬し(笑)


比較、嫉妬、妬み、
どーせ僕なんかという自己否定


今巷に溢れている自己啓発的な教えの真逆を
面白いくらい体現してくれる笑


そこに嫌悪感じゃなくて笑いがある

しょうがないなーって言ってくれるドラえもんがいる


そして自分の能力で解決出来ない事を毎回ドラえもんに泣きついて助けてもらう


普通に考えたら、
どうしようもないほんとの駄目人間に成長していきそうな所だけど

どうしようもない所ばっかりなのに
のび太はなぜかぶれない優しさを持っている


それでいて自分の感情のまま生きる事にぶれない強さがある(わがままともいう笑)


っていうか小学生だから当たり前っちゃ当たり前なんだけど


でもそれはドラえもんの世界の登場人物たちに共通する「愛」がないと成立しない事なんじゃないかな


人が人と関わりながら生きていく上で大切な事


それを欠いている人が一人も出てこない世界


言わば人間の業の肯定っていうのを
全体を通して語っている「落語」の世界のようである


僕は立川談志が好きだったので
談志が若い頃に言った
落語は「人間の業の肯定」である


っていった事の深い意味がやっとこの年になって分かるようになってきた気がする


頭で分かるんじゃなくて、腹落ちするっていうか、府に落ちるっていうのかな


だからドラえもんの映画をそういう観点でみると泣き所が沢山ある


っていうかシンプルに、のび太が人の温かさや優しさに触れて泣く所は、どうしてももらい泣きしてしまう


今の世界に藤子不二雄の世界観はすごく大事なメッセージを送ってくれてるのかもしれないですねー


僕ものび太の様に生きて
しずかちゃんの様な人を嫁にもらおう



あ、


おれ結婚してた(≧▽≦)


うちのしずかちゃんに怒られるかな?(笑)
 

逃げろー!!
(≧▽≦)


(最後オチで使ってさーせん)
って謝っておかないと🤣
 


最後頭の中で菅田君の「虹」を流しておいて下さい!
今日は以上です!


それではまた(^_^)/~~
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(最近更新頻度少なくてすみませんm(_ _)m)

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