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僕の好きな先生

こんにちは!

スウです♪

僕の小学校一年、二年生の頃の担任の先生は渡辺先生という方でした

見た目はキッチリ七三に橫分けして眼鏡をかけてて、今思い反すと中井貴一さんみたいな見た目だったと思います。


その先生は国語が主担の方で、小学校の先生は音楽とか家庭科とか以外は全部教えてくれるはずなんですけど、どこから聞いたのか国語の先生っていうのがなぜか印象的でした


その先生は厳しい先生っていう感じなんだけど、どこかすごく深い優しさを持っているというか、あたたかさを持っているというか


泣き虫でちょっと知恵遅れだった僕は、その先生に当時何を教わったのかをさっぱり覚えてないんですけど

なんか好きな先生でした


大人なんだけど子ども心にも安心するっていうのかな


当時の気持ちを上手く表現出来ないけど
そんな印象でした

その先生とのエピソードで忘れられない事が2つだけあって


1つは家庭訪問で先生が家に来た時に母親に話していた言葉です

そのままは再現できないけど
こんな感じだったと思います

「鈴木君はどこか乳臭いところがありますね」
恥ずかしそうに受ける母
「でもきっと大器晩成の子だからゆっくり育ててあげたいですね」


こんな感じの事を話されてました


何でこんな事覚えてるかっていうと
先生が話した「乳臭い」っていう言葉と
「大器晩成」っていう言葉の意味が分からなくて
親に尋ねた思い出があるからです


その時母に説明されても良く分からない位アホだったと思うんですけど笑


言葉の記憶力だけは何故かいい僕は
その先生が話したこの2つの未知の言葉を覚えていました


あゆみにも渡辺先生の字で大器晩成って書かれててその時また意味を聞いたような気がする笑
(意味が分かるのはまだその後って事ですね)


大器晩成っていい言葉だなと思うんです
今出来てない事があっても期待が持てる言葉ですよね

立派な大人は人にも自分にも過度な期待をしないらしいけど、期待されると嬉しいってのもある


そんな中でも先生は可能性みたいなものを信じてくれて見守ってくれてたって事ですもんね

それでその先生は何かの事情で他の学校に移られるという事になって
小学校時代に渡辺先生と会う事はなくなってしまいました


そして忘れられないもうひとつは


その他の学校に移られたはずの渡辺先生から
小6のとき家に電話がかかってきた事です


お店に電話がかかってきて
父が電話に出て「ありがとうございます」と先生にお礼を言ってるようだった


内容の詳細は教えてくれず
小学校の時の渡辺先生って方から電話だってと繋がれた電話


渡辺先生の事は好きだったけど、すっかり忘れて過ごしていた6年生の時に自分に電話ってなんだろう?
って思ったら


中学受験合格おめでとうという電話でした


どこで知られたのか他の学校へ行かれてしまった先生がわざわざ電話をかけてお祝いの言葉をかけてくれたのです


まず何年も前に担任されたそんな目立つ事もなかった自分を覚えててくれたのかという驚きと、何でそれを知ったんだろうっていう驚きがあって


その時おめでとうと新しい中学校でも頑張ってくださいねという言葉を頂きました


その電話以来
僕は1、2年生の時の微かな記憶しかなかった渡辺先生をやっぱりすごい方だったんだなぁと記憶するようになりました


小学校六年生の時はっきりいって下から数えた方が早いような学校の成績で、親にすすめられて友達が行ってたからという理由で塾に通って中学受験をしました


小6の時に塾に通い始めたってクラスの友達が知られた時は、何で友也が?っていう感じだったと思う

小5の時だったかテストの成績が悪すぎたからか、学校を休んだ日があったからかその時の先生の家で補習学習みたいなので呼び出された事もあるし(笑)
(補習学習って言っても実際は先生の家でお菓子ご馳走になって終わったような記憶しかないけど)

そもそも受験の意味すら分かってなかった(≧▽≦)
(これ、マジです!)


友達は頭がいいから他の学校に行くんだなっていう認識があったけど、自分はバカだからちゃんと勉強してバカを矯正してくれる学校た入らなきゃいけないって思ってた


バカを矯正してくれる学校を受験勉強で受けるってどんな社会の仕組みなんだ?って思うけど、そんな事考える位アホでした


だけど劣等感とかを感じた事がなく
真面目でも不真面目でもなく、
ただだた世間知らずな生粋のアホです!

筋金入りです(≧▽≦)


塾はテストの成績順でクラスが決まるのですが大体ずっと一番下のクラス

クラスの席順も前から成績順に座らされるという塾でしたから


あんまり席順気にしてなかったけど
大体後ろの方に座ってて回りに座ってる他の学校の男の子たちとバカな話して仲良くなってた

でもあることがキッカケで小6の冬位からちゃんと勉強するようになった(おそっ!)

ある事っていうのは普段父親は自分の勉強に口を出すことはないんだけど、ほんとうにまれに勉強どうだ?って声をかけられる


勉強をするふりをしてて塾の勉強はさっぱり分からない。
学校の勉強すら分かってないんだから当たり前なんだけど。。。


いまだに覚えてるけど六年生の秋か冬頃もう受験も間近だと思う時期に、勉強を覗きにきた父親の前で三角形の面積を出す定理が言えなかった

底辺×高さ÷2
ってやつね


それまでその辺にある2つの数字かけた二分の1みたいになんとなくでやってたから

三角形の面積を出す公式があるだろ
って父に詰め寄られた時に
わからない
となって


それで父を愕然とさせた事を覚えてる(笑)


この体験はもっと前にもあって小3位の時に英語教室みたいなのを通わしてもらってた時に(これも友達が行ってたから)


もう結構通っているのに、何を習ってるのかを伝えようとしてABCの歌を歌おうとして、最後まで歌えず

大丈夫か?ってなった時と一緒
(我ながら変な所を記憶している)

その時のトラウマじゃないだけど
嫌な記憶がよみがえってきて
こりゃあいかんと思った
(スイッチの入り方が独特ですみません笑)


はっきり言ってもう手遅れかと思われたけど、何故か受験に受かってしまった


その当時そんな難しい学校じゃなかったからなんだろうけど、その試験の当日は何か頭が冴えてて、知らない事も知ってる風にデタラメを書きまくったような試験の受け方だった
(どんなだ?)


謙遜でもなく、ほんとうにまぐれで受かってしまったって感じでした

そんな感じで受かった中学受験を
先生がわざわざ電話をかけてくれて祝福してくれた


それが僕にとって忘れられない想い出です

そんな想い出もあるからか中学に入って先生の事をセンコーとか呼んだり、あだ名でからかったりとか、なんかどうしても抵抗があって

ちゃんと先生を敬うすごく真面目ないい子ちゃんで育ちました。

それが自分の中ではカッコ悪い事で恥ずかしいなぁって当時思ってたのですが(なんか回りが逆にませてる大人に見えて悪びれてるのがカッコいいんだなと思ってた)

でも今振り返るとそれも渡辺先生みたいな立派な先生にちっちゃい頃に出会えたお陰だと思えています。

先生ありがとうございました。


今日は以上です

それでは今日も素敵な1日を(^_^)/~~

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アーユルヴェーダの事ちゃんと伝われば
きっと楽しく健康になる人が沢山ふえると思ってます♪


僕も勉強中なのでこれから一緒に勉強していきましょう(^^)