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「疑い」と「信じる力」と「ありのままを見る力」

視点の中に「疑い」というのがあるのは
真実を見極める上で必要なもののような気がするが、実は裏側にあるものを見る視点のようなものが大事なだけで
 
疑いの視点がありすぎると
その視点が真実であるかのように現実が振るまうという事があると思う
 
何をしても何をされても信じきれないという
「疑い」を消す事が出来ないという視点は
実はその疑いを向けられる対象者に問題があるというだけではなく観測者の見方の問題という事がある
 
 
「疑い」のない世界に入ると奇跡のように感じるような出来事が起こる。
 
信じ合える力の中にいると、スルスルと物事が進んでいくような出来事や、そのようなまわりの振るまいが、奇跡のように現実として起きてくるというのがある
 
 
これは量子力学の観測者と対象物の関係のいまだ解明されない科学のように、自分が作り出した世界がその対象の振る舞いも変えて、そう見える現実をつくるのと同じと言えるのではないか
 
 
だからこの「疑い」というのを外していくと
現実はいい方向に動きだす
 
真理を見るというのに疑いが必要なのではなく、裏側に隠された真意とか
様々な角度から見れる視点というのが必要なだけで
 
 
その自分で決めた設定を外しただけで
世界は美しく見えてきて、そういう現実が起こり
 
その視点を沢山の人が持てれば
大きな現実世界も変わっていくのではないかと思う
 
 
問題というのは一人一人の視点とか集合意識から生まれ
 
その視点と意識が現実の世界を作り出している
 

それに気づいて柔軟にしなやかに生きるって事が出来る人は、これから生きやすい世の中になり
 
古い価値観や今までのやり方に固執していくほど生きにくい世の中になる
 
しかしどちらを選ぶのも自由なのだし
そこにはいい悪いのジャッジはないのだ
 
あえて生きにくい生き方を選択する場合だってあるだろうし
 
それはその対価で何かを得られたり味わえたりするという価値観というのがあるからなのかもしれない
 
不器用に生きていくとか、それとは逆に本音と建前を使い分けて生きるっていう生き方というのは、ある意味この世の中をまるまる受け取った姿ともいえるのかもしれない
 
 
しかし全体を見ていくと、これからの変化の激しい時代に対応していくには、執着を外して柔軟性を持った生きやすい選択をしていく方が
何事も滞る事がなく、澄んでいる世界観を生んでいくのではないだろうか
 
 
 
信じる力が弱ければ疑いを生み
自分の疑いは相手の疑いを生む
 
信じる力は信じる力を生む
 
そんな所に信頼関係というのがある
 
 
大げさに言えばこれからは
その「信じきる力」が世界を変えていくと信じている
 
しかしややこしい話だがこの信じきる力が自然に生まれてくるものではなく、信じようとし過ぎて執着になってくると、現実は違う振る舞いをする事になるという事もある(笑)
 
 
結論を言えばありのままを見る目が大事で
それをジャッジせず見る力が世界を変えていくというのが真理だと思う
 
ややこしく長々と書きましたが
結論は意外とシンプルです(≧▽≦)
今日は次女ななみの誕生日

たまには少し早めに仕事を終えてお祝いしようと思います🎉✨🎂✨🎉✨

今まで夜の10時とか11時とか遅くまで働いてたりしてたのですが、(今もやっちゃうんだけど(^-^;)
今しかない時間を大切にしたいと思います


予約が取りづらくなってる中申し訳ないのですがわがままをお許し下さいm(_ _)m

 
それでは今日も良い1日を(^_^)/~~
アーユルヴェーダの事YouTubeで発信したりしてました(過去形)

またこれまでとはちょっと違うやり方で発信していこうかなと考えてますので
その間は過去の動画何度でも繰り返して見ておいて下さい♪(≧▽≦)