「あなたらしく」「そのままでいい」
「変わらなくていい」「無理しなくていい」
こういう言葉に、救われる人がいると思う。
頑張りすぎなくていい。
自分を責めなくていい。
そんな言葉が、
本当に苦しい時に響く瞬間がある。
ただ同じ言葉でも
なぜか引っかかる
違和感を覚える時があって
それが何かのビジネスとして使われていたりする時や
逆に
「もっと幸せになるために」
とか
「もっと良くなる人生のために」
とか
″そのままではいけない″
と感じさせる
そういう良くある言葉に対しての
アンチテーゼとして
「そのままの自分らしく」
を固辞するかのように
自分で自分に使っていないか?
と感じる時がある
「魂の声を聞く」
という言葉の中にも感じる
それは自分で持っている
自分を守る装置みたいに
「自分らしく」とか「魂の声」という言葉を使っていないか?
という事。
あなたがあなたらしくいられる髪型とか空間とか
一丁前にそんな事を自分の仕事のモットーに掲げてみたりする事もあったから
そういう言葉の真意を
履き違えると良くないと考えているのかもしれない。
最近思うのは
「そのままでいい」
を履き違えた結果
“熟成”を拒否する事になってないだろうか?
という事
変わらないことを肯定しているうちに、
変われない自分を固定していないだろうか?
色々なものの出会いから
そんなような事を別の角度で考えるようになった。
その一つとして
最近習っている
「武術」の視点から見ると
すごく分かりやすいという発見があったのでシェアしてみたい
武術には「気を扱う」という世界がある。
でもそれは、
いきなり気を感じようとして出来るものではなく
型を繰り返し、
身体操作を積み重ね、
余計な力が抜けた“後”に、
結果として現れるもの
少なくとも今の自分には
そう見えている。
そこで考えられるのが、
あなたらしくや、そのままの自分でいい
という言葉の中に抜け落ちているものがあるとしたら、「通過」ではないか?という事
・うまく出来ない時期
・修正される経験
・今のままでは通らない現実
・少しの痛みや摩擦
これらは、自己否定ではない。
ただ「まだ途中」なだけ。
自然体は、努力しない状態ではなく、
努力を通過した後に現れる状態。
また別の視点を持つと
こうも言い換えられる。
存在は、最初から肯定されている。
ただ、構造は「まだ通っていない」だけ。
これは否定ではなく、
「これから通れる余地がある」ということ。
「魂の声を聞く」こと自体が悪いわけじゃない。
ただ、
魂は守るものではなく、
通して発揮されるものだと思う。
武術で言えば、
身体を通して初めて、気が立ち上がるように。
「あなたらしく」は、
今すぐ自分に戻る魔法の言葉ではなく、
通過した後に、
振り返って「ああ、これが自分だった」と
分かる言葉なのかもしれない。
急がなくていい。
でも、止まらなくていい。
即効性のある結果や
すぐ取れる安心では掴めない
「熟成」したからこそ辿り着く場所。
それは「通過」した後に何かがあると
知る事からはじまるのかもしれない。
※注
鈴木は気を使えるレベルにいるわけではありません笑
「通過」を信じて今励んでいる者です
























