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ニートの気持ち。大学での生活を振り返って

先日のブログで
(林先生の授業を聞いて思った事)
林先生は高学歴のニートの人たちに
講義をしていましたけど、
自分はそんなニートの人たちの気持ち
分かるような気がします。

今思い返すと
自分も大学在学中がある種
ニートのような生活でした。

 
日大の付属系の高校だった自分は
それなりの勉強で
日大のどこかしらの学部に入れる
という恵まれた環境でした。

将来どうしたいのか?
どんな仕事をしていくのか?
そんなビジョンも夢もなく、
あやふやなまま、進む学部を選びました。

理数系だったにもかかわらず、
文学とか音楽とか、
英語とか語学が学べるような方がいいな
とか思いはじめていました。

でも今さらもう遅く
音響関係が学べそうだ、という理由から
電気工学科がいいのではと
工学系の大学に入りました。

しかしいざ入った大学の生活も
勉強も、全然楽しくなく、
数ヶ月でやめたいなと
思い始めました。

大学まで行かせてもらっておいて、
今さら自分のやりたい事は
ここにはないと、
飛び出したくなったのです。

時が経てば経つほど、
もっとちゃんと音楽の事だけを学べる
そんな場所に行きたい。

自分のやりたい事、好きな事、
そんな事だけをやり尽くして
燃え尽きたいという
思いが強くなっていきました。

やりたい事、将来の夢もないまま、
サークルや飲み会などで
ワイワイやってる大学生たちと
全然馴染めなかったし、
すごく居心地が悪くなってしまいました。


大学の一年目も終わらない頃に
親に大学をやめたいと言いました。

音楽の専門学校に行きたいと。

父にも母にも反対されました。
母は泣いていました。

泣く程の事なのか?
その時の自分には良く分からなかった。

大学はとりあえず卒業してくれ
と言われました。

本当に自分にやる気や勇気や
揺るがない夢や目標があるのなら
そんな反対を押しきってでも
飛び出して、突き進むだろう。

でもその時の自分には
それが出来なかった。

我慢をして大学に行く事にしました。

でも大学生活はとても苦痛でした。
いい年をして登校拒否をし出しました。

独り暮らしをはじめてからは
アルバイトばかりをただひたすら
一生懸命にやるようになりました。

大学の勉強も手につかず、
やる気がおきず、鬱病のように
悩み続けました。

当時の僕のバイブルは
「あしたのジョー」
でした笑

何度も読み返し、ジョーのように
燃え尽きたいと思いました。

周りの人たちが恋愛などで
青春を謳歌するのに
見向きもせず、
ただひたすらとボクシングだけをやって
ストイックに生きるジョー。

そんな生き方に憧れた。

何か自分も見つけなければ。

でも音楽以外に自分が打ち込めるものが
見つからなかった。
 
ひょんな事から
途中から違う学科にいた、
高校の同級生と共同生活をはじめました。

家賃も半分浮くし一緒に住んでいいか?
と友達が言ってきました。

当時僕が住んでいた、
驚くほど家賃の安い風呂なしアパートで
先の見えない未来を占う。

そんな二人の生活は、
大学ではじけて楽しんでいた人達とは
混じり合えない場所でした。

彼は機械工学科で車が好きで
F1のエンジニアになりたいと言って
どこからか車のエンジンを入手してきて
いじっている。

僕はレコーディングエンジニアになりたいと言って、録音する機械を買ってきて、自分で演奏した音を重ねて録音している。

大学でくすぶってしまう情熱を
そんな事をしながらお互い過ごしていました。
 
しかし、彼が僕のアパートに来てくれた事で、登校拒否状態だった自分は、以前より少しマシになりました。

お互いに似た者同士の人が、頑張っている。
それだけで自分も少し頑張れました。

しかし、
阪神大震災が起こった年に、
彼はボランティア活動をしてくるといって
そのままずっと帰ってこなくなりました。

久しぶりに帰ってきた彼は
僕の知らない所で何かに目覚めて
大学をやめてしまいました。
 
彼がいなくなってからは、深夜のバイトなどをはじめて、また学校にいかない日が増えてきてしまいました。

ただ食費を稼ぐために働いている
そんないい加減な生活をし続けていたので
大学の単位が規定に足りず、留年しなければ
卒業出来ない状態になっていました。

学校に行かなければと心では思って
焦っているのに、気分が鬱状態になり
身体が動かず、ずっと寝ている。

昼間寝ているから夜中じゅう起きている。

そんな最悪の生活を続けていました。

結局やりたい事が音楽以外に見つけられず
ただ悶々と悩んでいる、

大学もまともに卒業出来ないし、
そんな時好きになった唯一の女性とも
上手くいかず落ち込んでいました。

そんな自分が情けなかった。
大学に行きたくても行けない人だっているのに、親のスネを散々かじって、
甘やかされた状況のまま、
自分のやりたい事が見つからないと
嘆いている。

もういい加減、見切りをつける頃だ。
今思い出すと、テレビでやっていた
高学歴のニートの人達より最悪な状態です。

あの人達は大学をちゃんと卒業してるだけでも、偉いと思います。

いい加減こんな生活を
やめる決意をしました。 

親との約束は守れないけど、
将来自分で飯を食って行くために
やれそうな仕事を本気で考えよう。

会社員は無理だと思った。

色々考えて、小さい頃に憧れた
職人さんのような仕事が良い。

自分にも出来そうな仕事。

そんな理由で親の仕事である
床屋になる事にしました。
改めて父親に、やっぱり大学をやめたい事
そして、床屋になりたいと思っている事を
伝えました。

ギリギリまで大学にいて、
留年する事になってしまった事
そんな事も咎められる事もなく、
なんでそんなになってしまったのかも
問いただされる事もなく
「そうか」
と言って聞いてくれました。

「床屋はこれからきっと厳しいぞ、
美容師の方がいいんじゃないか?」
と、その時言われたのを覚えています。

その時は父が言っているその意味が
良く分かりませんでした。

自分が美容師になるとはイメージがつかないし、親にしか髪の毛を切ってもらった事がない。

美容師とはどんな感じなのかも知らない未知の世界です。

なので絶対理容師がいい。
 
やりたい事というより
食べていくために選んだ理容師の道。

不純な動機だけど、
でも、やるからには全力でやって、
逃げ道を作らずに
父親のようにお店を出すというのを
目標にしようと思いました。
そう心に誓って、
お店を持てるようになるまで、
逃げずに頑張ろう。

そう決意出来たら、
先が見えず悶々としていた日々が
嘘のように、目の前が開けた気がしました。

なので皆が同じような目標を持っている専門学校生活は、楽しかったです。
そんな理由から選んだものですが、
床屋さんのような職人的な仕事は
自分に向いているなと思えました。

練習とか技術の鍛練も
それほど苦にならず、
人一倍努力はしたけれど、
そんな大きな挫折もなく
それなりに出来るようになりました。

でもどこかで、
自分が本当にやりたい事をまだ探していたんだと思います。

美容師になろうと思ったのも、
そういう気持ちがあったからでした。
すみません。
だらだらと長々とした話になってしまって。

一度ここで区切ります。

続く。。。

読んで頂いてありがとうございます。

それではまた(^_^)/~~