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自分史 まとめ

久し振りに書きかけだった自分史まとめてみました。

時系列がバラバラだったり
かなり散文です(^-^;

以前に書いた自分史はこちら
何者かになりたいと思った
でも何者にもなれないと思って
くすぶっていた18歳から21歳
 
もがいて苦しくて、
社会を斜め下から見て
斜め上からも見た気になって
 
あーだこーだ考えても
何も出来てない自分が情けなくて

 人の何の役にも立たない
頭でっかちな自分は
頭の中の妄想だけが肥大して
 
世の中がつまらない
こんなはずじゃない
ここじゃない何処かへ
という思いがずっとあった
 
そしてどうやっても
一人ぼっちだと思った
 

でもただ生きてる
情熱がマグマにもならずにくすぶってる
 
どこにも出口を見つけられないまま
自分に自信がほしくて
何かを打破したくて
 
何かを身につけて
自分の外側の世界と繋がろうとした
 
自分の内側の何かが足りないと
それを外側の物で埋めようと
 
そうすればいいのだと思った
 
 
努力が報われはじめたって表現していいのかな
 
頑張れば変われる、
誰かとも繋がれると思いはじめて、
そうやっていつの間にか自信もついていた
 
苦い思いをしたり、
色々な事に耐えながら
 
そんな中でも
人に信頼されていって
喜んでもらえて
 
人の優しさに触れる事が出来て
喜びを分かちあえる事が出来て
 
人に対する
「誠実さ」や「優しさ」や「思いやり」
で世の中が美しく観える
 
自分もそんな世界観がいいと思った
 
 
だけど僕がどうしても変えられなかったもの
それがずっとずっと分からなかった
 
 
19歳の時の僕が考える
自分の生き方や大きな指針は
 
好きな事に熱中して燃えつきたい
だった
 

そんな話しを親にしなければいけなかった時、
僕の選択に母はただ泣いていた
 
 
それはどうしても振りきれないメッセージとして
自分の心の中に残り続けた
 
 
普段母を大事にしたいって気持ちはあるけど
割りと表面上すごくドライで
肉親でもベタベタするのが苦手だった
 
ただその時は
自分の気持ちよりも
母を本気で泣かすって事は
自分が本当に間違っている選択をしてるのかもしれない
 って思った
 
高い学費を払ってもらって
行かせてもらった大学を
数ヶ月でやめたいと言って

音楽関係の道に行きたいと言った言葉に、
父は、それでおまえが食べていけるとは思えない、取りあえず大学を卒業した方がいいと
 
それからまた考えろと諭された
 

親のスネをかじりながら
自分のやりたい事、好きな事をしたい
って言っているあまちゃんな自分も
当時好きになれなかったが
 
それに加え情けない事だけど
親は自分の気持ちを分かってくれるはず
という甘えがあった
 
自分でも抜け出したい思いを
どう伝えていいか分からないまま

自分にとっては父の言葉よりもその時の母の
言葉もない涙に
 
なんで?
となった
 
泣くほどのことなのか?
 
しかしそれは
父とは違った言葉のないメッセージとして
どうしても振りきれない想いとなって
自分の心に残り続けた
 
 
振りきれる人がカッコいいと思う
 
そうなりたいという気持ちがある
 
しかしそうなれない
 
多分これが自分の本質なのかもと思った
 
僕のくすぶった情熱を燃やすって事より
そんな事が心に引っ掛かって
前にもすすめないのだ
 
溢れる情熱があれば
そんな事は関係ないだろう
 
自問自答し続けてその時の自分は
 
 
母を本気で泣かしてはいけない
 
と思った
 

きっと母の感性の中で何かが違ったのだろう
直感的な理由のわからない涙が
その時の僕には一番説得力があった
 
 
それは後にも先にも忘れられない出来事だった

 
そんな事があって
いたくない場所にずっと居続ける事にして

やっぱりダメだと腐ってしまいそうな時に
すごく好きな人が出来た
 
 
しかしその人とは上手くいかず
深い失望感とか絶望感を味わう

僕の中ではかなり大きな失恋をした
 
 
もう生きてる価値がないと思った

大げさかもしれないけど
その時はそういう気持ちにしかなれなかった
 
 
人への「愛」とか
嘘のない本当の気持ち
 
母の涙と、その後の失恋から味わった
僕の心の中に残り続けたもの
 
 
それが多分僕の中での女性観とか
女性に対するスタンスになった
 

これは忘れてた自分の心の中のスタンスだけど
振り返りの中で言語化してわかった事
 

そんな経験を経ながら
結局僕は大学の勉強も中途半端で
卒業できないまま
やっぱり大学はやめるという決断をした
 
そして親の職業である床屋の道にすすもうと決めた
 
その決断は色々苦悩して、
観念したって感じもあったし
結局自分でやりたい事もやり通す事も出来ないという葛藤もあって
 
その時の僕は自分で自分の事が心底嫌いだった、
生き恥をさらしてるかのようでいたたまれなかったのだ
(今となってはその気持ちがプライドなのか何なのか良くわからない。。。)
 
だけどその決断を親に話した時には
そうしたければすればいいと

以前は反対していた
音楽の道に行ってみてもいいんたぞ
とも父は言っていた
 
 
しかしその時の僕は床屋の職人として一人前になって
父のようにお店を出す
というのを希望に生きていこうと覚悟を決めていた
 

だからそういう気持ちにもならなかったし
親に話をした時には
あきらめて仕方なく床屋になるっていう感覚でもなくなっていた
 
 
その後床屋としてそれなりの実力と自信をつけた僕は、独立するという夢を持ち続けていた
 
そんな時に出会ったのが今の奥さんだった
 
その当時の彼女は僕の青臭い不確かな夢に
寄り添ってくれた
 
 
そんな彼女の髪を切ってあげたりしてる時に
同じ髪を切る仕事なのに
女性の髪を切る事には自信を持てない自分が
何かおかしいと思いはじめて

女性の髪も切れる様になりたい
と純粋に思う様になった
 
 
そこから床屋としてお店を出す前に
美容師の世界を見ておきたいって思った
 
丁度床屋の仕事に閉塞感を感じてしまっていた自分は
すごく大事に育ててくれていた床屋時代の師匠に、今の自分の気持ちを話して
美容室で働いてみたいと伝えた
 
その床屋時代の師匠は本当にいい人で、
そんなワガママを聞き入れてくれ
頑張ってねと僕を送り出してくれた
 
 
そうしてはじめに入ったお店ではアシスタントから勉強させてもらう事にして、
一年でスタイリストになるまで
床屋の見習い時代に返ったように
毎日が充実していた
 
 
今までのスキルを一旦捨てて
飛び込んだ美容の世界は
何者かになりたくて床屋の世界に足を踏み入れた時よりも、キラキラして見えた
 
 
その後アシスタントから馴染んでスタイリストになったお店からの異動があった

新しいお店で僕は、先行きが分からない
混沌とした世界に入っていった
 
自分の親譲りの職人気質と
その時の自分の世界観では
乗り切れない場所だと思った
 
 
頑張ってもそれなりの成果しか出ず
技術を磨いても結果としてついてこない日が続いて、美容師の世界の中においてのキャラクターとかが
 
それじゃ駄目だと
ずっとダメ出しを言われているようだった
 
っていうか実際言われていた

人間性を否定されてるなと感じる位に
かなりひどく言われた笑
 
沢山の個性の中で
数字の結果が全ての、お互いがライバル同士のギスギスした人間関係の中で、
居場所を見つけられなくなって
 
 
人間的に好きな人も尊敬出来る人もいないと
感じる程荒んでいた自分は
完全に路頭に迷ってしまった
 
 
一年近くその異動先のお店で働いて
その大きな会社にとって使えない僕は、
美容師としての価値なし
と判断されたようだ
 
簡単にいうと戦力外通告ってやつだ
 
また違うお店に異動して働き続けるって方法もあったんだけど、
そこを離れる事にした
 
 
その次のお店でも、
スタイリストとしては難しいと判断されて
また振り出しに戻る
みたいな美容師としての修業時代が続いた
 
 
先の見えない苦しい練習とか
下積みをまた経験して
三年目位からまたスタイリストとして働いて
そこからも苦悩は続いたけど
 
四年目か五年目かな
段々とやっと形になってきて
ある程度の技術のレベルとか
お客さんからの信頼とか
美容師としてのパフォーマンスも上がって
結果も出せるようになって
自信がついてきた
 
 
でもそこでも気づけなかった事
 
 
僕のいつまでも晴れる事のない苦しみの元は
自分自身の中にあった

 
いつだって世界を変えるのは
自分の中の心だ
 
 
苦しい時にはそれが分からない
 
ただがむしゃらに、走り続けるしかない
そう思ってもがいて、疲れて
結局出口なんかないんじゃないか?
 
という諦めにも似た感情がよぎる
 
自分を奮い立たせて
困難や壁に立ち向かおうとする
 
いつだってそれを乗り越えた先に
楽しみや喜びがあるはずだと
 
 
でも違ったのだ
 
いやそれはそれで
そういう人生だってあるんだけども
 
僕の中での今の答えは違う


結局は自分が見ている世界は
自分が作ってて
何かのせいでも、
誰かのせいでもない


100%自分の思いが投影された世界

何々のせいで何々が出来ないと
思えばその通りになるし

何かが足りないと思えば
ずっと自分に足りない何かを探す世界になる


色々な人たちと出会って学んでいった事

大切にしたい事沢山あるけれど

外側の世界に答えを求めても見つからないものがある

自分の内側にアクセスしなければわからない事


そんな忘れていた感情を整理して
また大切な事を思い出させてくれた
 
 
今までと少し先の未来を見てくれた
心理占星術師のルナさん(松田朋子さん)
 
それから今受けているオパ
の加藤美音子さん
 
色々心の整理がまたついたので
昔を改めて振り返ってみました
 
今のスウのお客さんや
僕の友達や、
僕と関わってくれる人たち
 
 
今が充実していていると
忘れそうになる事がある
 

振り返りをしてみて
自分でも気づかないうちに
まだ握りしめてるものがあった
 
 
それが自分の本質だと思っていたけれど
 
僕が親から貰ったメッセージは
そんなもんじゃないって事にも気づいた
 
 
父は僕が生まれた日に生死をさ迷った
 
後一歩遅かったら死んでたらしい
 
 
生まれた日の翌日から何ヵ月も入院したのだという
 
母は不安だったろう
 
生まれてくる子供と引き換えに
パートナーが亡くなるかもしれなかったのだから
 
 
もうその時既に、
僕は二人から普遍的な愛を受け取っていた
 
 
生まれた時にそれを受け取ったのだ
 
 
そんな事にも気づかずに
ずっと生きている
 
自分の足で立っていると思って
 
自分の本質はそこにある
 
 
だから後はそれを繋いでいくだけだ
 
そのエネルギーはすごく大きい
 
 それさえあれば
何にでもなれるし、
どこにだっていける
 
 
それを思い出させてくれた
 今までの全ての出来事
出会った全ての人たちに感謝します
 
 
長いのでこの辺で終わります!
先日両親の髪をカットしたので
その時の写真を貼っておきます

ビフォア
父アフター
父は来月でお店を閉める事になった

最近何でもない所で転んじゃったりしてるので、危ないから丁度良かったかもね

40年以上続けたお店を閉めるってのは
何だか寂しいけれど仕方ない

僕は継がずに自分のお店を出したからね


ビフォア
アフター
まだまだ元気にお店出来そうなんだけど
そういうタイミングが来たんだろうな


お疲れ様ー!!

これからを楽しんで下さい。
祐実ちゃんとは交代で仕事をしていて
お店の中にはお客さん一人という状態で対応させて頂いてますので、ご予約の際はご了承くださいm(_ _)m
 
祐実ちゃんもオンラインで英会話とか
メイクレッスンとかしてます♪
 
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