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「のぶさんち」で学んだ事。まとめ②

の続きです!
「こっちへ来いよ」といつでも皆に扉を開けてくれていたのぶさん。

その扉の横で待ってくれていたユースケさん。
その開かれた扉に気付くのは、自分自身も気付かず閉じていた心の扉を開く事で、聞こえてくるメッセージだった。

そして、僕はこの二人と、そこに集まる皆のエネルギーに吸い込まれる様に、
SandySPAでの「のぶさんち」に参加していた。


この「のぶさんち」で僕は皆に何が出来るだろう?

行く前に色々考えた。

取りあえずギターを持っていく事だけは
何故か決めていた笑

のぶさんもあかずーもギターを弾くけど、僕も賑やかしにでもなればと思って。一緒に楽器が出来たら楽しいと思った。

自分が喜べて楽しくて、それで皆に必要な物がいい。

色々考えたけど、丁度カメラを最近勉強してたから、そうだ!この日を写真で記録しよう!と思った。
会う前から皆のエネルギーを感じていた。

この日は特別な日になるはずだ。

上手くいくか分からないけれど、
偶然でもいいから、
この日の皆を素敵に切り撮れたら、
誰かしら喜んでくれるかもしれない。

スマホでは皆撮るけれど、ちゃんとしたカメラは持ってきてないんじゃないかな?と考えた。

ユースケさんは持ってたけど(≧▽≦)

あ、俺いらなかったかな?笑

ちょっと一瞬思ったけど、
ユースケさんは色々忙しいはず。

それにユースケさん自身をちゃんと撮れる人はいないかもしれないから、意味はあるだろう。

思ったんだけど、ユースケさんは本当は僕より写真が上手なんじゃないかな?

実際僕が撮りたいと思っていた、
その人の良い所を写してる様な写真を撮っているのを後で見たし。

僕よりもその人の本質を見えてる人の方が素敵な写真が撮れるはずだ。

だけど僕にカメラ係りを譲ってくれたのではないかな?

そんな気遣いも秘かに感じながら、
取りあえず僕はこの日はありがたく
カメラ係りになろうと決めた。

カメラで上手く撮る実戦にもなるし、
僕にとって遊びにもなるし、
楽しめると思った。

プロでもないのに、首から無駄に2台のカメラをぶら下げて(≧▽≦)

実際皆を撮っていくのは、楽しかった。

ほんとは途中、もっとじっくり皆と話しをしたり、コミュニケーションをとりたいという思いも芽生えたけれど、
自分がこの役をやる事で得る物があった。

素敵な人のそのままを素敵に撮る。

そんなシンプルな事をするためには
自分の心の持ちようが大事だとわかった。

実際あそこに集まった人たちは
皆素敵だった。

だからわかった事だけど、
カメラというのは、
撮る方と撮られる方の心が写る物だと思った。

僕には初歩的なテクニックしかないけど、それでもそれなりの写真になるのは、
撮られる人の魅力を、撮る側がどう捉えてるか?が写るんじゃないかなと思う。

カメラのスペックとかでもなく、
(僕のは大したカメラじゃない)
特別な技術でもない。

そうなのかもしれないと考えたら、途中から本当に楽しくなった。

しかし、もっと良く撮れるはずと思ったり、
技術がない事に焦って、頑張り過ぎたりしてしまったけれど。

それさえも反省するべき所があるというのは、自分自身の勉強にもなった。
 
あの限られた時間の中で、
どう過ごすかは自由だった。
僕は何かを与えられる人になりたいと思った。

それも自分が楽しい事で。

それについても、深く考えた。

僕は動き回る事で自分の価値を探していた。

だけど、心を開放して楽しむ事で、そのありのままの存在だけで、皆に喜ばれている人もいた。

僕はまだそのレベルではないのかもしれない。

だけど自分が人に何かをしようと、してあげたいと自然に思って動く事で気付く事もあった。

僕はそれがかけがえのない思い出になり、自分の選択は良かったのだと、本気で思えた。
 
誰かに何かをしてあげたいの中の、
僕はのぶさんのカットの後のドライをしている時に、自分の中のここに来た意味みたいな事に気づいた。

のぶさんのカットの後のドライヤーの係りはのぶさんのカットが見れるチャンスだ。

僕はのぶさんに言われる前に、由紀子さんの髪を仕上げたいと思った。

誰かの為というと聞こえはいいが、自分の欲の為だ。

由紀子さんはユースケさんのお金の講座を一緒に受けた人。

その時に僕はユースケさんのカウンセリングで由紀子さん自身が変わっていくのを間の当たりにした。

それをリアルで見ていて自分でも涙が出る程に感動したのだ。

なぜ涙が出るのかわからない。

ユースケさんや皆がそれでいいよと言ってくれているのが、そこで分かって、その声やポジティブなエネルギーや、人の優しさなどが、一気に自分の中を駆け抜けた。

僕は由紀子さんへの皆の優しさ、
それに泣いていたのだと気づいた。

その優しさを人に与えられる人になりたい。

その時そう思った。

僕はその時の自分の気持ちを葛西由紀子さんという名前と共にメモをして記録していた。

僕は自分の美容師としての欲求と
この人の笑顔が見たいという思いから、
由紀子さんに声をかけた。

由紀子さんはそれを喜んでくれた。
 
のぶさんにカットをしてもらって、洗面所でドライヤーをかけて一緒に由紀子さんと仕上がりを見た時。

それを見て喜んでいる由紀子さんを見た時。

カットでキレイになっただけの喜びではないと感じた。

何かを変えたいと思って、変わっていくご自身に喜んでいる姿を見た。

俺はこれがやりたかったんだ。

理美容師の素晴らしさに改めて気づいて興奮した。


自分がカットした髪じゃないけどね笑

でも笑顔になる由紀子さんを見て、心の底から嬉しかったんです。
僕はそこでも泣きそうになってました。

それは感動したからなのか、わからないけど、自分の本来の役割みたいな事に気づかされた瞬間でした。
人にはそれぞれ役割があって、それは生きている意味みたいな事。


生まれてきた意味みたいな事。


それは人によって、人と深く関わる事で、
心の奥を見せ合う事で、もまれていき
気付く事なのかもしれない。



自分のこうしたい、こう生きたいは、
誰かの為になって初めて成立するものだ。



それは人に深く関わったり、本気でその人の為になる事、自分に出来る事、それを考えていったら見つかる物なのだとわかった。
 
きっと皆それに気付くために、もがいているのだ。


もし、自分のやりたい事と人がしてほしい事、自分のなりたい自分と、他者が自分にはそうであって欲しいという想い。



そんな事がガッチリとはまった所に行けたら、楽しいし、もしかしたら努力さえもいらない。


自然体で楽しい自分でいられる。
そんな事を考えました。

 
自分の心と素直に向き合うと見えて来るもの、それは誰かを通して自然に見えてくるもの。



これに気づいた事が僕の
「のぶさんち」で得た
大きな大きな収穫でした。

 
ここに集まった人、それぞれの役割があってこの日があった。



それは誰一人欠けてはいけないピースで成り立っていた。



のぶさんはそれを教えてくれた。



だからこの日に集まったメンバーは必然なのかもしれない。
皆それぞれの想いがあるのだ。

それも一人一人聞きたい。

スゴく面白い事だ。



Facebookがなければ、そこでのコミュニケーションがなければ、繋がらなかったかもしれないご縁。


大切にしていきたい。



のぶさんちに集まった皆さん。

どうもありがとうございました(^o^)/✨

 
また、お会い出来たら嬉しいです(^^)



それでは今日は以上です。

最後まで読んで頂きありがとうございます😊

また明日(^_^)/~~